Fetish Pono(wet,messy,rip)

【連載】第32回:あなたの「好き」は、あなたを癒やす!

人には、それぞれ自分にとって「好きなもの(こと)」があります。好きな食べ物、飲み物、スポーツ、旅行、音楽、映画、何かをコレクションすること・・・などなど、人が「好き」と感じるものを挙げていけば、まさに枚挙にいとまがありません。
そして、人によっては、もっと説明しにくい「好き」を持っていることもあります。特定の服装が好き、ある特定のシチュエーションに惹かれる、女性の特定の部位に興奮する、ある仕草や雰囲気がたまらなく好き、といったように他の人から見れば「なぜそこに惹かれるのだろう?」と思われるようなものも内包し、それを私たちは「フェチ」と呼ぶことがあります。
日本語で「フェチ」という言葉を聞くと、どうしても性的な意味を想像する人は少なくありません。実際、日本であれ海外であれ、「フェチ(Fetish)」という言葉が、性的な好みや嗜好を表す言葉として使われる場面も多くあります。しかし、人が何かに強く惹かれるということ自体は、とても「個人的なもの」で、普遍的に性的なものと捉えられるものではないという不思議な世界でもあります。
「なぜか好き」なのか・・・その理由を、自分自身でさえうまく説明できないことがあります。その「好き」を、わざわざ他人に説明する必要はありません。誰かに理解してもらえなくても、自分だけの世界として楽しめれば、それだけでも十分に価値のあることです。誰かにとっては何でもないものが、別の誰かにとっては、とても魅力的に感じられる。その違いこそが、人間の面白さなのではないでしょうか。
私たちは日々、仕事や人間関係、家庭のことなどで、さまざまなストレスを抱えているものです。たとえ、それが大きなストレスでなくても、毎日の小さな疲れが少しずつ積み重なっていくことで精神的にダメージをもたらす場合もあります。そんなとき、多くの人は自分なりの方法で気分転換をするはずです。
友達や家族、恋人などとおいしいものを食べる、お酒を飲む、スポーツを観戦して盛り上がったり、自分でも何か運動をする、ネットで色々面白いものを探す、YouTubeを見る、友達とラインでやり取りする、ゲームをする、買い物をする・・・などなど、これらは単なる「暇つぶし」ではありません。
自分の気持ちを切り替えたり、日常から少し離れたり、心を休ませたりするための大切な時間でもあります。そして、その中に「フェチ」と呼ばれるものがあっても、不思議ではないと思います。
誰もが同じ方法でストレスを解消する必要はありません。アウトドア派でスポーツをすればスッキリする人もいれば、インドア派で静かな部屋で好きな音楽を聴いたりゲームをしている方が楽しくて心が落ち着く人もいます。大切なのは、「自分にとって心地よいもの」が何なのかということで、当たり前ですが、「好きなもの(こと)」に正解はないということです。
好きな食べ物や、好きな芸能人、はては好きな異性のタイプといった「好きなものやこと」に対して、なぜ自分が好きなのかを感覚的・感情的なことではなく、論理的に説明できる人は少ないのではないでしょうか。フェチもそれらと同じかもしれません、
自分自身が楽しむことのできる「好き」を、必ずしも他人に理解してもらう必要はありません。自分とは違うものとして寛容に受け止めてもらえれば、それで十分です。少なくとも、誰かを傷つけたり迷惑をかけたりしない「好き」まで、否定される理由はありません。
一般論として、私たち日本人は、「みんなと同じ」であることに安心してしまいがちです。たとえば、人気のあるものだとか、世間で評価されているものなどです。もちろん、それらを「自分も」好きであれば、それはそれで良いことですが、自分の「好き」が必ずしも世間の人気と一致するとは限りません。自分の気持ちを押し殺してまで「世間で人気があるもの」など周囲に合わせる必要などないのです。
他の人には理解されにくいものだからこそ、自分にとって特別なものになる場合もあります。それが「フェチ」では、起こりうるというわけです。「(私はこれが好きなんだ)」そう素直に思えることは、実はとても大切なことだと思います。自分の「好き」が誰かと同じだから価値があるわけではないですし、また、誰かと違っているから価値がないということでもないのです。人それぞれ違うものに惹かれるからこそ、世界には様々な価値観が存在し、これほどたくさんの楽しみ方が存在しているのだと、考えることができます。
ただ、「フェチ」という言葉には、少し特殊なものという印象がつきまといますが、広く考えてみれば、それは「自分が特に惹かれるもの」「自分なりのこだわり」「自分だけの偏愛」と言い換えることもできます。誰にでも、人とは少し違うところがあります。「自分はこういうものが好き」「なぜかこれに惹かれる」そんな自分だけの感覚を持っていることも、「自分らしさ」の一つです。だからこそ、「人とは違う」ということを、もっと肯定的に捉えてもいいのではないでしょうか。
そして、自分の「好き」を大切にするのと同じくらい大切なのが、誰かの「好き」も尊重することだと思います。自分には理解できないと思うこともありますが、「理解できない」と「否定する」は同じではありません。「自分はそういうものには惹かれないけれど、あなたはそれが好きなんだね」それでいいと思うのです。「そういうのが好きなんだ」と知ることで、今まで知らなかった世界に出会えることさえあります。
自分の好きなものを大切にすることと、誰かの好きなものも大切にするという二つは、実はつながっています。自分の「好き」だけを主張して、他人の「好き」を否定してしまえば、そこには本当の意味での自由はありません。反対に、自分とは違う誰かの「好き」を認めることができれば、自分自身の「好き」に誇りが持てます。これは、フェチに限らず人生一般にも言えることかもしれません。
私たちの人生は、「好きなもの」の積み重ねでもあります。たとえば、好きな食べ物を選び、好きな服を着て、好きな音楽を聴き、好きな場所へ行く・・・その一つ一つは小さな選択ですが、それらが集まって、自分らしい生活ができあがっていきます。その中に、少し人には言いにくい「好き(フェチ)」があったとしてもいいのです。自分自身がそれを楽しめて、日々の生活の中で心を少しでも軽くしてくれる「癒し」になるのであれば、素晴らしいことだと思います。今後も、私は、皆さんと一緒に「自分の好き」を大切にしていきたいと思います。
「No Fetish! No Life!」
文責:ジュテーム家康
■理念(Mission statement)
https://fetish.gdp22.com/philosophy/

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