【連載】第24回:自分の「好き」はいつ決まったのか? コメントする / By 濡泥裂(ジュテーム)家康 / 2026年2月10日 毎月10日公開の連載記事として私(ジュテーム家康)が執筆していきます。 人は、何事に対しても、それぞれ自分の好みというものがあります。しかし、それが物質的な物では無く、精神的なものに関係する場合、自分が「何に惹かれるのか」ということに対してはっきりと答えることのできる人は少ないと推察できます。 たとえば、「好きなタイプの異性は?」と聞かれた時、年齢や雰囲気、性格の傾向といったことには答えられるかもしれませんが、もっと細かい部分・・・なぜか目が行ってしまう異性のしぐさなど、理由もなく心がざわつくものについては、なぜそれに惹かれるのかを明確な言葉で表現できないことが多いものです。 不思議なことに、そうした感覚には「初めて出会った瞬間」の記憶がほとんど残っていなかったり、いつからそうだったのか覚えていないこともあると思います。気づいたときには、すでに「それ」に惹かれていたという感覚に近いと思います。 たとえば、子どもの頃の記憶を思い返してみるとします。そうすると、特別な出来事ではないのに、なぜか鮮明に覚えている光景というものが人にはそれぞれ存在すると思われます。そのとき自分が何を考えていたかは覚えていないのに、その光景が映像として頭の中に強く残っているのです。 こうした記憶は、意味を持たないまま保存されて年月が経ちます。「感動した」「嬉しかった」といった感情とは異なって脳に刻まれます。ただ、記憶のどこかに引っかかったまま(一時的に忘れ去れることもある)、長い時間を経て残り続けるわけです。 人の好みは、こうした「意味を持たない記憶」から形づくられていくものと思われます。意識的に選んだわけでもなく、また、誰かに示されたり教えられたわけでもないはずです。ただ、「初めて出会った瞬間」に自分の中で、五感のどこかが強く反応したという事実があるわけです。「五感」がWAMをはじめフェチの形成において重要な役割を果たすことは前々回の連載で書きました。 ■第22回:五感が導くWAMへの誘いhttps://fetish.gdp22.com/20251210a/ 「五感」の何が、どういったものに反応するのかは、もちろん人それぞれで千差万別なので体系化することはできません。たとえば、ある特定の服だったり、異性の特定のしぐさや体のパーツの状態などがそれにあたります。もちろん、「五感」に関係するので視覚的なものではなく、においだったり音だったりする場合もあります。ただ、「第22回:五感が導くWAMへの誘い」の中でも触れたように五感の中でも嗅覚や聴覚よりも視覚的な情報が人間にとって大きな影響を受けるため、視覚的な情報に起因する「何か」に多くの人が刺激を受ける場合が多いわけです。 こうした感覚は、後から理屈をつけようとしても難しいもので、「なぜ好きなのか」と問われても自分でも「はっきり分からない」場合が多いものです。「好きだから好きなんだ」としか答えられないわけです。しかし、その「はっきり分からないという感覚」こそが、その人の内面に、静かに形を刻み続け、気が付いたら他人に語るのが恥ずかしいほどの「重度なフェチ」へと足を踏み入れている場合があるのです。もしかしたら、この文章を読んでいるあなたもそうかもしれませんね。(笑) でも、私にも、もちろん自分にしかわからない趣向の「フェチ」はありますし、ひょっとしたら表には言わないだけで、老若男女問わず多くの人が何らかの「フェチ」を胸に秘めている可能性はあります。 それは先程述べた「意味を持たない記憶」から派生した「感覚の残像」に近いかもしれません。人は、大きなインパクトある出来事よりも、意外とこうした微細な刺激にこそ強く影響を受けるものです。なぜなら、それらは頭で「理解する」というよりも感覚、あるいは、身体(視覚などの五感)で「体得する」ということに近いからです。「腑」に落ちたでしょうか?(笑) 今回のテーマである【自分の「好き」はいつ決まったのか?】を考えることは、過去を掘り返すことではなく、むしろ、今現在の自分の感じ方を、正直に見つめ直す行為に近いといえます。なぜ、昔、あの瞬間が気になって記憶に残っているのか・・・。なぜ、あの出来事だけ記憶に残っているのか・・・。そこに明確な答えはないのです。 しかしながら、「分からないままでもいい感覚」があることに気づくと、世界の見え方は劇的に変わるものです。仕事や家族関係、友人関係など生活のあらゆる場面で、人は(大人になると特に)理由を求められるもの(求めるもの)です。しかし、「分からない」ままでも良く、自分の「好き」に正直になって追求できる世界(各々にとってのフェチの世界)があることによって、人は癒されるのではないでしょうか。 この文章は何か自分の好きなフェチをはっきりと持っている人だけに向けた文章ではありません。フェチという言葉は知っているけど、自分が何フェチなのか特に意識していないといった方々にも読んでいただきたいと思って書いています。 もしかすると、「自分にも、説明できない好みがあるのかもしれない」そう思っていただけた時点で、この文章の役割は十分果たされたことになります。 言葉にしなくてもいい・・・誰かにカミングアウトして説明しなくてもいい・・・ただ、なぜか覚えている懐かしい光景や人の姿・・・特定の「原風景らしきもの」を何度も思い出してしまうという感覚があれば、それを否定せずに素直に受け取ってみることが、いわゆるフェチ(便宜上用いますが、「好み」「こだわり」などと置き換えても良いのです)への入り口かもしれません。 そこから先は、人それぞれの自由意志の領域です。大海原へと漕ぎ出す人もいれば、お気に入りの浜辺でベンチに座って静かに水平線を眺め続ける人もいます。いずれにしても、そこには誰にも邪魔されることのない、自分の好きなときに、好きなだけ没頭できる世界が広がっているのです。 「No Fetish! No Life!」文責:ジュテーム家康■フェティシュポノ理念(Mission statement)https://fetish.gdp22.com/philosophy/