【連載】第23回:人はなぜ「女性の衣装」に興奮するのか~衣装フェチの本質~ コメントする / By 濡泥裂(ジュテーム)家康 / 2026年1月10日 毎月10日公開の連載記事として私(ジュテーム家康)が執筆していきます。 【WAMとは・・・】この記事をお読みのほとんどの方が記事タイトルに記した「WAM」という単語の意味をご存じかもしれませんが、はじめて当サイトを訪れる方々も増えてきているので、簡単に説明をさせてください。—-WAMとはWET(濡れること)+AND(アンド)+MESSY(汚れる)のそれぞれの頭文字「W」「A」「M」をとって略した一つの「フェチ用語」として数十年前から使用されている単語です。 過去以下のような「衣装」にまつわる記事を公開したことがあります。 ■第12回:麗しのOL制服https://fetish.gdp22.com/20250210a/■第11回:リクルートスーツフェチhttps://fetish.gdp22.com/20250110a/ 私の場合は特にリクルートスーツ、OL制服、セーラー服姿の女性が好みですが、人によってはその他の衣装をまとった女性の姿が好みの方もいらっしゃるでしょう。ただ眺めているだけで心が落ち着いたり、自分でもよく分からない高揚感を覚えたりする男性は少なくないと考えられます。興味深いのは、その感情が必ずしも「美人であるかどうか」に左右されない点にあります。顔立ちが自分の好みでなくても、体型が理想的でなくても、衣装そのものが強く意識を引きつけ、感情を動かすわけです。 これは単なる好みや嗜好の問題ではないと思います。人間の視覚処理と本能的な認知の構造を考えると、非常に理にかなった反応です。人は「人」より先に「記号」を見る習性があると考えられています。つまり、私たちは目の前の人物を、そのまま「個体」として認識しているようでいて、実際には多くの情報を記号化して処理しているのです。スーツ、制服、水着といった衣装は、その最たる例だといえます。 衣装は多くの場合、「その人が何者か」「何をしてるのか」「どんな場に属しているか」を瞬時に伝える視覚的記号です。リクルートスーツなら「就職活動中」、セーラー服やブレザー制服なら「中高生で学校に属している」、水着なら「水に濡れることを前提とした解放感」を象徴しているわけです。脳はそれらを一瞬で読み取り、意味づけを行います。その意味づけは、もちろん画一的なものではなく、各々の経験や価値観などによって形成される主観的なものです。つまり、人は個人の人間の身体的な特徴よりも先に、衣装という「意味をもった記号」に反応していると言えるのではないでしょうか。 また、面白いことに、衣装というものは「人格を省略する装置」として機能します。その人の性格やら価値観やらを知るには時間がかかりますが、衣装は、その人の立場や背景などを瞬時に想像させることができます。(意識しなくても潜在的に脳がそのような処理をしています。)この「人格の省略」が、心理的な快さ、癒しを生んでいるわけです。 たとえばリクルートスーツ姿の大学生らしき女性を見るとき、私たちは無意識に「就職活動に奮闘していて大変なんだろうな」「面接の後、スーツ姿のまま友達とカフェで待ち合わせているのかな」などといった物語を勝手に作り上げるわけです。ここで重要なのは、実際の人物(人格)がどうかではなく、衣装が喚起する物語が感情を動かしているという点です。そのため、外見や性格といったことよりも、衣装自体が主役となるわけです。 衣装が人を惹きつける理由の一つに、「状態の変化」があると考えられます。リクルートスーツならば、それは女性の身体を覆い、身なりを整え、動きを制御します。スクール水着であれば、逆に露出が多くなり、身体の輪郭を強調します。 人間の脳は「変化」に敏感に、かつ、強烈に反応するものです。日常と非日常、抑制と解放、公と私・・・など、衣装はこれらの境界を視覚的に明確にするため、脳にとって非常に刺激的なわけです。その「刺激」を受容するのは、いうまでもなく各々の人間・・・「私」でもあり、この文章を読んでいる「あなた」でもあるわけです。特に男性は、視覚情報をもとに論理的に感情を組み立てる傾向が強いとされています。そのため、「何を着ているか」という情報から色々と妄想を膨らますわけです。 「衣装フェチの本質」は、「衣装を着ているその人が好き」というよりも、「その人が組み込まれている構造」に惹かれているわけです。リクルートスーツを例にすれば、「それを着ている女性は【就職活動】という社会的な活動に組み込まれている」わけです。制服であれ、和装であれ、水着であれ、私服であれ、何であれ、その衣装を着た女性は必ず何らかの「構造」(あるいは、状況、環境)の中にいるわけです。 衣装は、それを纏った女性を一度フラットな状態にし、役割や状況の中に配置します。そこには匿名性と普遍性が生まれるので、「衣装」を纏った女性の姿を見ることにより男性の感情が動くのです。「衣装」による興奮は、その女性との直接的な関係性や現実の欲望とは切り離されていることが多いため、お互いにとって心理的に安全ともいえます。だからこそ、「癒し」と「興奮」が同時に成立しうるのです。 多くの男性は【女性の衣装そのもの】に対して、癒しや高揚感、そして興奮を覚えます。そこに WAM(ウェット&メッシー) という要素が加わったとき、WAMを好む人間にとっては、予測不能な化学反応が生じます。その反応の大きさは、人それぞれであり、一律に語ることはできません。 衣装が濡れる、あるいは汚れるという現象は、先に述べてきた「変化」という要素を、より顕著なかたちで可視化します。乾いた状態では安定していた衣装の意味や構造が揺らぎ、質感・重さ・視覚的印象が次々と変質していくこととなります。その過程そのものが、感覚を強く刺激し、見る者の意識を引き込んでいくわけです。 そしてWAMを好む私たちにとって、その変化は単なる視覚的な出来事では終わりません。抑えがたい衝動となって立ち上がり、「自分だけのフェチの髄」を鋭く刺激します。その刺激は人によって強さも方向も異なりますが、いずれにしても、各々が内側に持つ嗜好の核に触れるものであることには違いありません。 気づけば人は、自身の好みが形作る世界の深みへと、静かに、しかし確実に引き込まれていきます。そこでは理屈よりも感覚が先に立ち、「衣装」と「変化」が織りなす世界が濃密な意味を帯び始め、興奮するわけです。 「No Fetish! No Life!」文責:ジュテーム家康■フェティシュポノ理念(Mission statement)https://fetish.gdp22.com/philosophy/