【連載】第20回:女性とWAMについて コメントする / By 濡泥裂(ジュテーム)家康 / 2025年10月10日 毎月10日公開の連載記事として私(ジュテーム家康)が執筆していきます。 【WAMとは・・・】この記事をお読みのほとんどの方が記事タイトルに記した「WAM」という単語の意味をご存じかもしれませんが、はじめて当サイトを訪れる方々も増えてきているので、簡単に説明をさせてください。—-WAMとはWET(濡れること)+AND(アンド)+MESSY(汚れる)のそれぞれの頭文字「W」「A」「M」をとって略した一つの「フェチ用語」として数十年前から使用されている単語です。 今回はブログ経由でリクエストがあった「女性とWAMについて」というテーマで私の過去の経験を踏まえて考察していきたいと思います。WAMという世界は、長らく男性的な趣味の領域として思われてきました。制作者も鑑賞者も多くが男性であることからも分かります。しかし、近年「女性のWAMer(WAMを愛好する人)は存在するのか?」という素朴な問いに、少しずつ現実的な答えが見え始めているような気がします。まず、WAMが本質的に「性」に結びつくだけでなく「感覚」のジャンルである点も見逃してはならないと思います。濡れること、汚れることは人間の原始的な体験であるからです。太古から近代まで、概ね人は雨が降ればずぶ濡れになり、舗装されていないぬかるんだ道を歩いて衣服が泥で汚れたり、服のまま海水浴をしたり、農作業などでどろだらけになるというのは日常茶飯事だったはずです。人間にとって、こういったことは感情と直結します。水の冷たさ、泥の重さ、衣服越しに伝わる不自由さなどは、一種の「非日常的身体感覚」であり、単なる視覚的興奮とは異なります。女性の中にもこの「感覚の変化」を楽しむ人は確実にいます。たとえば、雨の日にわざと傘をささずに歩くとか、海辺で服のまま波に打たれるとか、あるいはメイクを崩してまで全身を水に委ねるといった行為に「解放」や「快感」を感じる人は少なくないようです。誰とは言えませんが、過去に撮影したモデルさんの中にも、自らウェットフェチを自称し、服を着たまま水に濡れる感覚が好きでモデルとして応募してくれた方が複数おります。ウェットだけで無く、泥だらけになりたいという願望を持って出演を希望してきたモデルさんもやはり複数いらっしゃいます。もちろん、単にギャラほしさやお仕事としてでは無く、「ずぶ濡れ」になったり「泥だらけ」になる感覚が気持ちよくて本当に好きだからということでした。彼女らの言葉が本当か嘘かは撮影をすれば表情などから私は一発で分かりますし、結果的には売上げにも反映されることになるので、彼女らは本当にWAMerであったと確信しています。では、なぜこれまで女性WAMerの存在が可視化されにくかったのかという問題が浮上します。男性ほどではないものの、相当数の女性WAMerもいるはずだからです。理由の一つは、社会的な羞恥の構造にあると思われます。男性以上に女性にとっては「身なりを綺麗に保つ」「清潔である」ことは、長い間「女性らしさ」と結びつけられてきたという背景があるのではないでしょうか。泥まみれになったり、ずぶ濡れになることは、一般的には「子どもっぽくて」「みっともない」とされる行為であり、それを女性が自ら望むことを公言することはタブー視されやすかったと思われます。しかし、近年のSNSの浸透により、その壁が徐々に崩れてきています。匿名性の高い空間では、女性自身がWAMに興味を持ち(鑑賞派か実践派か、あるいはその両方かは問わない)、参加者として現れることが多くなってきたわけです。ネットのない時代、あるいは、ネット草創期にはほとんどなかった現象です。もうひとつ興味深いのは、WAMを「自己表現」として捉える女性の存在です。泥や水、ローションやクリームなどは、社会的役割や外見を一時的に取り去り、個人を「素」の状態に戻すのです。本来自分のあるべき(好きな)状態になっているわけです。スーツ姿のまま泥に倒れる女性の姿は、職場や社会で求められる「完璧な女性像」からの脱出にも見えます。一方で、制作現場においては依然として男性主導が多いのは事実です。WAMを演出する側が男性である限り、女性が主体的に「楽しむ」よりも「演じる」立場に置かれがちです。しかし、もし女性自身がカメラをとって、演出や編集の視点からWAMを再解釈したなら、男性的な視点はことなる女性的視点のまったく異なる作品が生まれると考えられます。例えば、友情の延長としてのずぶ濡れ、リラックスや癒しとしての泥んこ遊び、あるいは感情をリセットする着衣入水など女性的WAMの美学は、エロスではなく「心の解放」を軸にして展開しうると考えられます。実際、海外のWAMコミュニティでは女性クリエイターの台頭も顕著ですし、この傾向は日本でもいえることです。スマホなどで自撮りして動画をアップしている女性達も多いです。彼女たちは、泥や水、ペイント、クリームなどをを使って「感覚的アート」としてカメラの前で自分自身の身体をさらけ出しているわけです。そこには先程言ったような「羞恥」ではなく、「誇り」があります。このような空気がもっともっと広がれば、WAMはより多様な層に受け入れられるようになっていくと思います。女性が楽しめるWAM、女性が作るWAM・・・それが次の時代のトレンドになる可能性が大いにありますし、その兆候は見えているのではないでしょうか。結局のところ、「女性のWAMer(WAMを愛好する人)は存在するのか?」という問いに対する答えは、「確かにいる。ただし、その姿をまだ隠している人もけっこういる」と言うのが正確なのだろうと私は考えています。男性と同数とはいわないまでも、かなり多くの女性WAMerがいると確率論的からも推察できます。なぜならば、WAMは人間の根源的なものと結びついているからです。その意味で、少なくてもWAMに関しては男女の差など本来は存在しないわけで、雨に濡れた瞬間の高揚、泥に沈むときの解放感、服の中に水が入り込む不可思議な感触・・・そういったことに心を動かされる人がいる限り、WAMという文化は確実に広がっていくものと考えています。 「No Fetish! No Life!」文責:ジュテーム家康■フェティシュポノ理念(Mission statement)https://fetish.gdp22.com/philosophy/