Fetish Pono(wet,messy,rip)

【連載】第18回:フェチは誰の心にもある

毎月10日公開の連載記事として私(ジュテーム家康)が執筆していきます。

 【WAMとは・・・】
この記事をお読みのほとんどの方が記事タイトルに記した「WAM」という単語の意味をご存じかもしれませんが、はじめて当サイトを訪れる方々も増えてきているので、簡単に説明をさせてください。—-WAMとはWET(濡れること)+AND(アンド)+MESSY(汚れる)のそれぞれの頭文字「W」「A」「M」をとって略した一つの「フェチ用語」として数十年前から使用されている単語です。

 フェチという言葉を聞くと、多くの人は少しアンダーグラウンドな響きを感じるかもしれません。「特殊な趣味」「人には話しにくいこと」といった印象を持つ人も多いでしょう。しかし、実際のところ、フェチは決して限られた人だけのものではありません。人間は誰しも、多かれ少なかれ「フェチ的なもの」を持っているのです。
しかしながら、多くの人は自分のフェチに気づかずに日々を過ごしています。その理由は簡単です。私たちは、普段、日常生活の中では「わかりやすく共有できる趣味」「みんなに説明しやすい好み」ばかりを表に出しがちだからです。「野球が好き」「旅行が好き」「音楽が好き」「ソフトクリームが好き」といったことは人に話しやすいことであり、日常会話として一般的なものです。

しかし、「サラサラロングヘアーの女性が好き」「ハスキーボイスが好き」「パンストをはくときの女性のしぐさが好き」といったことも「フェチ」であり、これだけれも興奮する男性は世の中に大勢いるはずです。このくらいの事であれば、まだ人に語るのをはばかる人はそれほど多くはないかもしれません。しかし、先程の趣味のような話よりも若干ハードルが上がり誰にでも話せるといった内容ではないかもしれません。

それが、「濡れた制服姿の女性が好き」「泥だらけになった女性の姿が好き」「濡れた髪の女性の姿好き」となるとさらにハードルが上がり、たとえ家族や職場の仲間や学生時代の友人といった親しい間柄の人間に対しても話せなくなってしまいます。かなり昔の話ですが、ある大学時代の友人に、私がWAMに興味があるという事を打ち明けた時に、その友人も「俺はタイトスカートをはいた女性のくびれが好き」といったことを恥ずかしそうに話してきたことがあります。私からすれば全然ハードルが低いように感じる内容の事でも、その友人にとっては他人に話すのは恥ずかしい事であったのです。

その友人は「タイトスカートをはいた女性」のくびれをみたりお尻を見ているだけでも興奮すると言っていました。私は、リクルートスーツやOL制服が好きなわけですから、友人の「フェチ」は十分に理解できる範疇ではありましたが、それだけでは私は興奮しません。でも、彼は興奮するから「タイトスカートをはいた女性が好き」ということを他人には話しにくいわけです。私は、それだけでは興奮にまでは至らないので「タイトスカートをはいた女性っていいよね!」という事は少なくてもほぼすべての男性に対しては話せるレベルです。

つまりは、その人にとっての「好き=フェチ」が性的な興奮を伴うレベルにまで至ると、自分の性癖を話すことと同義となりうるので、他人には話せなくなるわけです。今は、私は友人や知人でも自分の「フェチ」を語ることができるようにはなりましたが、昔は今言った理由で話せませんでした。現実問題、「スーツのままずぶ濡れになった女性の姿っていいよね!」と話してもほとんどの人が「どこが?」となるわけですし、「制服のまま泥だらけになる女性の姿って好きだな!」と話しても「どこが?昔丈市場とかでそんな場面あったよね。」となるわけです。まさか、話された友人にとっては興奮する内容ではないので、何の変哲のない事象として捉えられるだけなのです。
ともあれ、自分の中のフェチに気づいている人は、実はとても幸せな人だと思います。なぜなら、それは自分を癒やすための「秘密のスイッチ」を知っているということだからです。職場や学校、家庭や友人関係など日常の中で少し疲れたり、気分が沈んだりした時でも、そのスイッチを押すことで自分の心を軽くすることができます。「スイッチを好きな時に自分の意志で押せる」というのが最高ではないですか!?そして、自分の好きな「フェチ」を動画や画像などで見た時の感覚は、ただの娯楽や趣味よりもずっと直接的に心に効くはずです。それは、人間の本能的なものと結びついているからです。
また、フェチは生きる活力にもなります。「この瞬間が好きだから頑張ろう」と思えることがあるのは、仕事や趣味、恋愛といったことだけではありません。お気に入りの「フェチ」を楽しむために、仕事や日々の雑事を乗り越えられることだってあります。逆に、そうした楽しみを持たないと、日常はただ流れていくだけになってしまうかもしれません。
フェチというと、人目を避けて語るべき「特別な嗜好」のように思われがちですが、繰り返して言うと、フェチ(趣向は人それぞれ)は誰の心の中にも潜んでいて、私たちが人間らしく暮らすための大切な要素の一つだと考えられます。もし自分の中に「これが好き」と言える感覚があるなら、それだけで生が充実するはずです。もちろん人に話したくない人は無理に話す必要はありません。自分だけの小さな宝物として胸の奥にしまっておくのもまた素敵なことです。
日常生活の中ではカミングアウトできない人であっても、ネット上であれば同じ趣向を持った仲間と語り合ったり情報を共有することができます。大切なのは、自分にとっての「フェチ」に気づき、それを意識して各々のやり方で味わうことです。何気ない日常の中に隠れているフェチを見つけたとき、世界は少し違って見えてきます。そして、鮮やかに生き生きと感じられるのです。私も自分の好きな「フェチ」をもっと追求し、皆様に作品という形で発表し続けていくことができれば本望です。

「No Fetish! No Life!」
文責:ジュテーム家康

■フェティシュポノ理念(Mission statement)
https://fetish.gdp22.com/philosophy/

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