【連載】第15回:クセ強めの「好き」が実は心を癒やす コメントする / By 濡泥裂(ジュテーム)家康 / 2025年5月10日 毎月10日公開の連載記事として私(ジュテーム家康)が執筆していきます。 学校に通ったり、お仕事をしている方々の多くは、今週ゴールデンウィーク明けの水曜、木曜、金曜あたりはしんどく感じられたのではないでしょうか。長期休みのあとに急に日常が戻ってくると、心身のリズムが「日常」についていかず、「だるい」「気が重い」といった感情が湧いてきます。 テレビのニュースでも話題になっていましたが、このゴールデンウィーク中や直後に、学校や職場を離れる決断をする人が少なくないようです。もちろん、学校や会社が本当に自分に合っていない場合や、続けることで心身に悪影響が出ると感じた場合には、辞めるという選択は決して間違いではありませんし、決断が早いほど、次の一歩を踏み出して自分の居場所を見付け成功するチャンスも早まります。 ただし、「なんとなくしんどい」「ちょっとだけ嫌なことがあった」程度の理由で、すぐにすべてを投げ出してしまうのは、少しもったいない気もします。しかし、それも結局はその人自身の人生ですし、自分の行動には自分で責任を持つことを前提にすれば、他人がとやかく言うものでもありません。 「ちょっとしんどい」と感じたとき、すぐに今の状況から身を引いてしまったり、逆に無理に頑張りすぎて続けるよりも、自分の中で「心をゆるめるスイッチ」を持って「心のバランスを保つことが出来る」と無理なく頑張る活力が生まれます。 好きなものを食べたり、好きな音楽を聴いたり、あてもなく外出したり・・・といろんな方法でストレスと向き合い、癒やしを求めるものです。その中に、「ちょっと変わった好き」がある人もいるはずです。「クセ強めの好き」だからこそ、人にはなかなか言いづらいのですが、実はそれ、「フェチ」なのかもしれません。「フェチ」だからこそ味わえる特別なときめき、癒やしなのかもしれません。 「フェチ」って言葉を聞くと、ちょっと恥ずかしいとか、マニアック、変態・・・といった印象を持つ人も多いかもしれません。しかし、「ちょっと変わった好き」って、誰の中にもあるものではないでしょうか。 たとえば、「雨の日にしっとり濡れた女性の髪を見るといいなと思う」「制服やスーツ姿を見るとなぜかドキッとする」「泥ハネでよこれたスカートがなぜか気になる」「水しぶきが上がる瞬間がなぜか心地いい」 これらの「なんとなく気になる」感覚は、どれも立派な「フェチ」と言えるでしょう。そこにいったん気が付くと、人はどんどん深みにはまっていくのです。なんと素晴らしいことでしょうか!(笑)フェチとは、誰にでもある「個人的なツボ」であり、「自分にとっての癒やし」がそこにあるのです。 フェチは、心が疲れている時に頼りになる「セラピスト」のような存在です。嫌なことがあった日や落ち込んだ日など、自分の好きな「フェチ」が表現されている写真や動画、場合によっては魅力的なテキスト情報を見ているだけで気分が和らいだりします。 不安なとき、元気が出ないとき、誰にも話せないような気持ちを抱えているとき・・・など、フェチは「誰にも迷惑をかけない快楽」として、あなたを支え、癒やしてくれるのです。 学校や職場で「認められたい」とか「評価されたい」といった他人の視線から離れ、また他人からの干渉が無い状況で、自分の「好き」に正直になれる瞬間でもあります。その瞬間、自分の心が自然とほどけていく感覚があるなら、フェチは間違いなく、あなたにとっての癒やしなのです。 この記事を読んでくださっている方の中には、「自分のフェチって何だろう」と、まだはっきりと言葉にできていない方もいらっしゃるかもしれません。 しかし、最近、なんとなく何度も見返してしまう動画や、なぜか気になってしまうものに心当たりはありませんか?もしかするとそれが、あなたの中に芽生えつつある「フェチ」なのかもしれません。 フェチというのは、突然目の前に現れるというよりも、日常の中で静かに育まれていくものです。気がつけば、ふとしたときにそれに惹かれていた・・・。見ていると不思議に興奮してくる・・・。そんな感覚に覚えがあるのなら、それはあなたの心を癒やしてくれるものになりうるものです。 無理に人に話す必要も、誰かに理解してもらう必要もありません。ただ、自分の中で「これが好き」と認めてあげるだけで、心が少し軽くなることもあるかと思います。他人の心はコントロールできませんが、自分の心は自分が決めるものです。「自分が好きな」ものは自分の心の中で育んでいったり、同じ趣向を持った人たちとそれを共有することでさらに楽しくなっていくものです。 「フェチ」は、偏った趣味でも、隠すべき感情でもないと私は自信をもって断言できます。最近は、私に関していえば、中学、高校、大学時代の今でも付き合いのある友達たちには自分のフェチについてけっこう積極的に話しています。また、仕事関係の上司や保険の担当者や、取引先の仲の良い人たちなどにも老若男女問わず話しています。とはいえ、当然のことですが、初対面の人や、昨日、今日会ったばかりでまだ人間関係が出来ていない人には話しませんが。(笑) 以前はそうではなかったのですが、今は違います。フェチ=ライフワークとなっているからでしょうか。自分のフェチをカミングアウトすることで相手もフェチについて私に語り出したり(好きなフェチの分野はお互い全く異なりますが)、撮影に適した場所を教えてくれたり、モデルを紹介してくれたりと・・・私のフェチのカミングアウトという行為に対して思わぬ進展が生まれつつあるのも事実です。(今後少しずつ明らかになっていきます。) フェチは、人それぞれが心の中にある「余白」、つまり、心の余裕をつくるための癒やしの泉です。自分のフェチに気づいたとき、ちょっとだけ日常が愛おしく思えるかもしれません。タイトルに表現した「クセ強めの『好き』」があなたの心を守ってくれることもあると思います。 「自分のフェチはちょっと独特で、なかなか他の人には理解されないかもしれない」・・・そう感じている方もいらっしゃるかもしれません。しかし、それはあなただけの「特別な感性」であり、大切にすべきものであり、だからこそ、自分のツボにぴったりハマるものに出会えたときの喜びは、何にも代えがたいものになるのではないでしょうか。それこそ最大の癒やしです! ゴールデンウィーク明けで何かと気分が不安定になりやすい時期です。もし、少しでも心が疲れていると感じたら、どうか「あなたの好き(フェチ)」に素直になって、心をそっとリフレッシュしてみてください。そのひとときに、FetishPonoが少しでもお役に立てるのであれば、これほど嬉しいことはありません。 「No Fetish! No Life!」文責:ジュテーム家康 ■フェティシュポノ理念(Mission statement)https://fetish.gdp22.com/philosophy/