Fetish Pono

【連載】第13回:フェチと性への目覚め

毎月10日公開の連載記事として私(ジュテーム家康)が執筆していきます。

昨年10月頃から「FetishPono」では皆様からご紹介いただいたYouTube動画をライブラリーとして公開しております。投稿いただく際にフォーム欄にアンケートがあり、お好きなフェチジャンルに興味を持った時期を伺っています。その結果、最も多いのは「小学生時代」でその次が「小学生時代よりも前」となっており、ほとんどの方が10歳に満たない年齢、もしくは10歳ちょっとで今の各々が好きなフェチ分野に興味を持ち始めたと回答されています。(選択式で回答)
https://fetish.gdp22.com/youtube_library/

過去の記事やブログなどで語ってきましたが、私の場合も、WAMに興味を持ち始めたのは幼稚園か小学校低学年の時です。「興味を持ち始めた」あの時は幼いので、自分のことを客観視できないものの、好きな女の子が砂場でお尻を地面に付けて座ってスカートが汚れたり、濡れたり・・・という事を見た(私にとってはフェチの原風景)ことに対して「なんかいいな~」という感覚、その後の人生に影響を与えることになる「刷り込み」的な意味も持っていたわけです。

【WAMとは・・・】
この記事をお読みのほとんどの方が記事タイトルに記した「WAM」という単語の意味をご存じかもしれませんが、はじめて当サイトを訪れる方々も増えてきているので、簡単に説明をさせてください。—-WAMとはWET(濡れること)+AND(アンド)+MESSY(汚れる)のそれぞれの頭文字「W」「A」「M」をとって略した一つの「フェチ用語」として数十年前から使用されている単語です。

おそらく周りの男子はそのような事に興味を持っていなかったかもしれませんが、私は何がきっかけだったのかは分かりませんが(あるいは、忘れましたが)、女子の服(特にスカート)が汚れたり濡れたりする事に興味を持っていたことは今でもはっきりと思い出せます。

50年近く前のことですが、「好きな女の子が砂場でお尻を地面に付けて座ってスカートが汚れた」場面は、自分の頭の中で、PCやスマホで視聴するいかなる動画や画像よりも鮮明に再現できます。その後、中学になって好きだった女子が学校の制服であるセーラー服姿で私の目の前で泥だらけになってしまったという偶然の出来事を目撃したことで、はっきりと「自分がWAMというものに覚醒したと」自覚したわけです。

小学生時代は「風雲たけし城」などのバラエティー番組なので女性がアトラクションに失敗して泥だらけになったり、ずぶ濡れになったりする場面や、映画やドラマの中で女優がずぶ濡れになったり汚れたりするシーンを目撃しては異常なまでの興味を示す自分がおり、同時に「あそこが固くなっている」という身体的変化に当惑した自分がいました。

当時はまだ、性教育というのを受けておらず、その身体的変化の意味や理由などを知らなかったわけです。ですから「自分が興味を示すもの(WAM的シーン)」と「自分の身体的変化」に対して「自分はおかしい人間なのかな、病気なのかな」みたいに考え悩んでいました。そんなある日、中学に入るちょっと前くらいになって、学校などから教わるよりも先に父親から「性」について正確に学びました。具体的な性行為に関する教育や避妊など重要な事に関しても昭和時代は、小学校や中学校では控えられる傾向にあったようです。今でも学校レベルではもちろん、地域によっても性教育の深さにはばらつきがあり、現在でも課題が残っているかと思われます。

今は亡き父のおかげで私は「自分が興味を示すもの(WAM的シーン)」と「自分の身体的変化」との相関関係を理解し、心身ともに健康体であるということに安堵しました。そして、自分が女性のWAM的要素を含む姿に対して興奮し、それが性癖とも結びつくと言うことも理解できました。先に挙げましたが、中学生当時好きだった女子が中学の制服であるセーラー服姿で私の目の前でぬかるみの上に転んで泥だらけになってしまった場面に遭遇した時にも「自分の身体的変化」は感じました。それ以後、セーラー服着用の女性がずぶ濡れになったり汚れたりするというシーンを観ることが一番の喜びとなりました。

その後は、大学時代に彼女のリクルートスーツ姿に惚れて「リクルートスーツフェチ」になり、また彼女のリクルートスーツのタイトスカートのスリットが破けるという出来事を目撃したことで「切り裂き・破き(RIP)」というジャンルにも目覚めたという変遷をたどり今の私(ジュテーム家康)を形作っています。

私の例からも分かるように「フェチ」と「性」は結びつくため、趣味や特技を語るノリで他人には語れないわけです。具体的な性行為(フェチとは関係なく一般的な意味)の話などに関しても誰にでも話せるわけではないということと同じです。「フェチ」といっても千差万別で服を着たままずぶ濡れになったり、濡れた髪が顔にかかったり、着衣のまま泳いでいたり、田んぼで泥だらけになったりというWAM的な内容自体は、ヌードのような外見上のアダルト的要素を一切含んではおりません。

しかし、WAM的な趣向をもつ人間にとって(私もですが)それを学校や職場、家族などの身の回りにいる信頼できる人にすらなかなか話せない(あるいは話しずらい)というのは、WAM的な趣向が性に結びつくからだと考えられます。だから軽々しく他人に自分のフェチ趣向を語る事を控えるわけです。

こうしたことにより、一般的には自分のフェチ趣向を配偶者や恋人に対して屈託なく打ち明けることができない場合もあり、パートナーに理解してもらう方法に悩む人も多いわけです。もちろん、中には配偶者や恋人にも理解してもらって、フェチを採り入れた性生活を楽しんでいる方々もいらっしゃいます。

性の目覚めとフェチの関係やフェチとの向き合い方は人それぞれです。一口に〇〇フェチといっても、そのとらえ方は人により異なり、それこそ人の数だけ〇〇フェチの定義や趣向は存在するものと思われます。宇宙が無限であるように、フェチの形態も無限です。さらには、人間の各々の心理も反映されるので、複雑性も有した無限性がフェチの世界にはあります。これが、フェチというものの解明を困難にさせ(解明の必要などありませんが)、奥深いものにしています。それゆえに、いったん足を踏み入れると「その深みにハマる(少なくてもフェチ愛好者にとってはいい意味で)」という中毒性も秘めています。さらなる深みへ入っていきたいものだと私は考えております。(笑)

「No Fetish! No Life!」
文責:ジュテーム家康

■フェティシュポノ理念(Mission statement)
https://fetish.gdp22.com/philosophy/

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