Fetish Pono

濡泥裂(ジュテーム)家康)

濡泥裂(ジュテーム)家康)
プロフィール

フェチに目覚めたとはっきり自覚しだしたのは小学生低学年の時です。学校で気になる女の子がグラウンドで体育座りして立ち上がった時に座り皺ができていて土埃でスカートが汚れているのを見て、なぜか「いいな!」と思っていました。

 

時を経て中学生時代のある日、雨上がりのグラウンドで、ある女の子が転んでセーラー服を泥だらけにしてしまったのを偶然目撃しました。

 

その時の衝撃は今でも忘れられず、おそらく、それがフェチに開眼した瞬間だったのだろうと思います。絶対に汚してはいけないものが、泥だらけになってしまった、という非日常性に強く惹かれるようになったのです。

 

しかし当時はまだインターネットもなく、映像を見る媒体も限られていたので、自分が目覚めた「フェチ」を満足させる写真や動画を今のように、簡単に見つけることはできませんでした。

 

ですから、バラエティー番組などで出演者が、ずぶ濡れになったり、泥だらけになるシーンに興奮したり、ドラマや映画で、着衣のまま雨に打たれたりプールで泳ぐといったシーンに遭遇すると、録画して、テープがすり減るまで何度も観ていました。

 

大学を卒業するまで、私にとってのフェチの楽しみ方は、テレビや映画の中のフェチ的要素を含むシーンを探して、録画して見るという、受動的なものでした。

吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。

それまでセーラー服など制服姿の女性がずぶ濡れになったり泥だらけになることが好きだった私は、大学時代の就職活動をきっかけに「リクルートスーツ」姿の女性の美しさに惹かれ始めました。

当時付き合っていた彼女がとてもリクルートスーツが似合っていたというのが大きかったと思いますが、ある時、彼女が荷物をまたいだ際に、タイトスカートのスリットがビリビリと裂けて、下着が見えそうなくらい太腿があらわになってしまったということがありました。

それを見た瞬間、中学時代、雨上がりのグラウンドで転んでどろだけになったセーラー服姿の女の子を見た時の衝撃が蘇りました。

そして、それ以来、私の「フェチ」への興味は、セーラー服などの制服を着て、濡れたり、泥だらけになること以外にも、広がって行ったのです。その後、急速に普及したインターネットで、自分の興味ある画像や映像を探していましたが、本当に満足するものを探し出すことは、なかなかできませんでした。

そして、自分自身で作れば、自分が本当に満足できるフェチ作品を観ることができるのではないかと思い始め、大学卒業後、当時はまだ動画作品の発表の環境が整っていなかったので、デジカメで撮影した写真をまとめて、ROMで販売するというかたちで、フェチ表現の活動をスタートさせました。

写真作品の発表はしばらく続きましたが、やはり、写真ではなく動画で表現したいという思いが強くなり、諸々の環境も整ってきた2005年夏にフェチ動画DVDの処女作を制作しました。

当時、フェチの女王として君臨していたモデルを起用し、某海岸の砂浜でウェット作品に特化して制作しました。荒波に打たれながらの撮影でしたが処女作としてはなかなか満足度の高いものとなり、多くの方々かの支持をいただきました。

約20年フェチ動画を作り続けていますが、数年前のある出会いをきっかけに私のフェチ表現は新たなフェーズに入ろうとしています。

私は、自分の欲しいフェチ動画を作ることで、ある程度自分自身の欲求を満たすことはできましたが、生活費は別の方法で稼がなければなりませんでした。

フェチ動画を販売することで、次回作の制作費用を賄えるようにはなったものの、自分の必要とする生活費までにはとても及びません。また、生活費を稼ぐための仕事の合間に行う制作活動では、自分が思うように時間をかけることもできませんでした。

そんな折に、私はある人物から連絡をもらいました。その方は、スチルの写真家なのですが、新しいビジネスのために動画制作をできる人材を探していたのです。

その人は、

「濡泥裂家康(ジュテームいえやす)さんのやっているフェチ分野の市場は小さいかもしれないが、人はそれぞれ何らかのこだわりを持っているはずなので、そういう様々なフェチ嗜好を集めれば今よりも大きな市場を作り出すことが可能で、必ずビジネスになる。だから一緒に新しいビジネスをつくりましょう。」

と言ってくれました。

私は、数ヶ月迷いましたが、結局、自分の本当にやりたいことに、自分の全勢力を注ぎ、あらたなビジネスを創り出すことに賭けることにしました。

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